アトモキセチン初体験☆自分を大事にして変化していくために服薬開始☆
本気で人生を変えるためのアトモキセチン
ついに昨晩からアトモキセチン(ストラテラ)を飲み始めた。初めて行った病院、あっさり処方してくれて有難い。
20分ほど話して、「まぁ、お話を聞いている限りADHDでしょうね」とのこと。
- 適度なリズムで集中と休憩をとれる自分になりたい
- 不適応性白昼夢をなくしたい
- 役所関係の提出物の遅れを改善したい
- 不注意をなくしたい
を叶えたい。そして何より、継続的に自分の仕事を淡々とこなし、嫌なことから逃げすぎず、しっかり稼げる私になりたいのだ。
初めて飲んだ感想
昨晩、就寝直前に服用してみた。
- 寝つきが悪かった
- 夜中何度も目が覚めた
- 吐き気はない
- 食欲もない
一応、プラシーボ効果の恩恵を受けるためにアトモキセチンの飲んだ方々のコメントを読んで効き目を確認。
「頭がすっきりした」「生活が変わった」などいろいろあるけど、あれは飲み始めてどれぐらい経ってからのコメントなんだろうか。
飲んだ瞬間、頭がすっきりしたような感じはあった。なんていうか胸のあたりが軽くなったような…。
今朝の私は機嫌が悪かった。寝不足のせいか子供たちの看病疲れか。朝っぱらから風邪薬を飲む際のこだわりが強い子供にキレてしまった。
とにかく、早く効果が出てほしい。これからの私にワクワクである。
自分を許すきっかけになったベストアイテム
あなたは、自分のためにただ可愛いだけのものを買ったことがありますか?
私はね、これまで1度も無かったの。
実用的なカーテンやお皿を可愛い柄にしたことはあったけど、ただ可愛いだけのものを買ったことなんて皆無。
なんの機能も持たない可愛いものを買うなんて発想がそもそも無かった。
そんな私が47歳という中年(イヤな言い方だ)になって抱き枕をね、買ったのだよ。
自分のために抱き枕(ぬいぐるみ)を買うなんて生まれて初めての経験。
自分にただ可愛いだけのぬいぐるみを買う日が来るとは…。
驚きだよね。
そんな自分にも驚いたよ。本当に。
結果、買って大正解。
もうね、めちゃくちゃかわいいの。
本当にかわいいの。写真で一目惚れしていろんな柄を見比べて、子供にも選んでもらって、
結局3つも買っちゃったよ。
我が家に来てくれてありがとう。
この言葉を減らすほど軽くなって人生が好転
私には悪い口グセがいくつかあった。年齢とともにスマートにできる範囲でそれらを減らしている。
その中でも無くして良かったと思っているのがこの言葉だ。
「~すべき」
これね。もう本当に良くないよ。もともと使う方ではなかったと思うけど今は全然使わない。
そうそう、自分が使わなくなったって言うのもあるけど、それよりも「~すべき」と使う人を遠ざけるようになって人生が好転しているのかも。
ヤフコメにはこれが多い。もううんざりだ。ヤフコメを卒業するきっかけはこれにもあるのかも。
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ヤフコメは「べきべきべきべき」うるさいんだよ。本当にさ。
そういえばVIVANTの役所広司さんの名前もベキだったかな。おもしろかったよね、あのドラマ。
ヤフコメ投稿はなんのため。引きこもりのアウトプットに最適
ヤフーニュースにコメントを書き続けて3年余り。でももう卒業しようと思う。ヤフーニュースを見るのもやめたい。だからけじめと思ってこの記事を書く。
この記事は、3~4年続けたヤフーニュースにコメント書くことを卒業するにあたってのふりかえり。
ヤフコメ。それは発信の練習だった
ヤフコメに投稿し始めたのは「発信の練習がしたい」のがきっかけ(だったと思う。)
ちょうどその頃オンラインの起業塾に通い始めたころ。オンライン起業塾ではFacebookでの集客を推していて私は「絶対ムリ!」と気後れしていたのだ。
Facebookで何をどんな風に書けばいいのかわかんなかったし、何より批判コメントが来るのが恐ろしかった。
ネット上で名前と顔を出して自分の意見を書くなんて不安しかなかった。
批判コメントはもちろん怖いし、何より「こんな変なことを考えている自分」を世の中にリリースするのが恐ろしすぎた。恥ずかしいし人様に自分の考えをお知らせするなんて恥ずかしいしお目汚し、と思っていたんだよね。
だから、いつも読んでいるヤフーニュースで自分のコメントを書けると知ったとき「これだ!」ってピンときた。
- 名前と顔を出す必要がない
- 話題は既にあるので感想を書けばいい
- 他の人のコメントにコメントも書ける
これって発信の練習にピッタリ♪
ヤフコメのおかげで否定的な反応に慣れた
自分のコメントに対する否定的な反応、結構来た。愉快犯、ひやかし、不愉快な物からまっとうなご意見まで。
最初の頃、否定的な意見を頂いた時はまーーーー、凹んだ。一日中ウジウジした。なんでわざわざ個人の貴重な時間を使ってわざと人を傷つけるようなことを書くのか、そんな人間がいるのが悲しかったし理解に苦しんだ。
でもコメント記入を続けていくと、一定の割合でこういう人がいるのがわかった。
自分がヒマつぶしに使われていること、人を傷つけるのがやめられない人がいるんだと知ったのは大きな収穫だった。
Facebookだったら耐えられなかったと思うけどヤフコメだからできた。
もちろん建設的な意見や博学な方から有益な情報を教えて頂く事もあり、内容よりも、「いい人もちゃんと存在する」ということを、知ることができた。
引きこもり主婦にとっては十分ありがたい学びだ。社会を信用することができた。信用度も同時に高めていけたので批判や誹謗中傷にはすぐに慣れた。
「慣れる」ことで人は変わり成長していけるとも知った。
ヤフコメのおかげで大人の会話ができた
ヤフコメのおかげで大人の会話ができたのもありがたい収穫だった。主語述語を使って他に言葉を形容、修飾しながら、言葉を論理的に組み立てる練習になった。
誤解の内容に、わかりやすいように、偏見を混ぜないように…。いろいろ考えながらコメントを書いていた。
ヤフコメを始めた頃は小さい子供2人をワンオペ中。子育て仲間も気軽に話せる大人も身近にいなかった私。
日頃の会話は
「ごはんだよ」
「お風呂入ろう」
「朝ごはん、何食べたい?」
名詞にちょっと何かつけたようなのと、子どもへの指示や命令、お知らせみたいな言葉しかなかった。会話とも言えない。
夫と落ち着いて会話できる機会は1週間に1度もなかった。
まじで、「日本語忘れそう…」と危機感があったのをぼんやり覚えている。
そして大人との会話。コメントで質問を書いたり悩みを書いたりすると、誠実に応えてくれる方がたくさんいらした。
話題は不動産投資、介護、子育て、食生活、障碍者の世界、更年期、ASD/ADHD、少子化、夫婦のコミュニケーションなどなどについて。見ず知らずの方々が、私のコメントのために時間を割いて真摯に応えてくれる。
なんてすばらしい仕組みなんだろうと感動したし、知らない誰かと共感してつながれてちょっとだけ元気になれる。
いつも感動していた。
私にとってはギブの手段
知らない誰かが優しくしてくれるので、言葉を使って私も誰かのためになにか書きたい!って自然に思うようになった。
ちょっとしたことなんだけど、
- 励ましたり勇気づけたり
- 知識をひけらかしたり・笑
- ただただ共感したり
そして温かいお返事を頂き嬉しくなったりした。
良かれと思って長文のアドバイスを書いて、「アドバイスを押しつけてはいけないんだな」というのも学んだ。
税金や投資、要するにお金や教育については人前で話すのは止めようと決意した。
ほんと。大人のマナーをヤフコメで身につけたと言っても過言ではない。
ヤフコメで自分のズレ具合を確認してた
ヤフコメでは世間様(←皮肉を含んでます)との認識のずれを確かめるのもできた。
自分なりに常識的で私は正論を書いていると思っていたのに、「うーん」が8割9割を超えたことも何度もあった。
「えーっ!これって常識じゃないんだ。私って多数派じゃないんだ!」って何度も驚き、他のコメントを読んで悲しくなったり「少数派でいる自分」に優越感を持ったりした。
- わざと記事に対して否定的なことを書く
- わざと自分の意見と真逆を書く
のもトライ。
「大御所がいいと言っている記事にわざわざ反論するなんて、その気概が素晴らしい。好きだ。」というコメントも頂いた。
世の中、捨てたもんではない。おもしろい人がたくさんいる。
コメントをくれた方に対して「この人に会いたい」と思ったのも何度もある。
ヤフコメで仲間を探して共感
子育てや更年期、介護について私には気軽に話せる人がいない。って言うか普通いないか。
- 介護の申請のために市役所に行くのが面倒すぎる
- 子どもの偏食が地味にツライ
- 最近尿漏れが・・・
というようなこと。わざわざ誰かに電話して言うことでもないし悩みというほどでもない。
そんな生活の中のあれこれを該当の記事のコメント欄に書きまくった。そしたら「共感した」が500件とかついたり「わかるー」という返信が来て、「だよね、だよね、私だけじゃないよね」って安心したり。
ヤフコメ卒業の理由
そんな役に立つヤフコメ投稿をこの度卒業することにしたんだけど、その理由も簡単に書いておこうと思う。
1番の理由はコンフォートゾーンから出ようって思ったからだ。最初の頃のような新鮮さは薄れてきた。ニュース自体はすべて新しいので自分が抱く感想自体は新しいんだけど、コメントを書くという行為に新鮮味を全く感じなくなった。
正直飽きてきたし、これ以上の自分の成長はここには無いなって思った。
もっと言うと、ヤフーニュースに価値を感じなくなってきた。最近、ヤフーニュースに流れる文章の質がだいぶ落ちてきているように思う。それに私の所に流れてくるニュースは、私のコンフォートゾーン内のおすすめ記事だ。
今後、情報を取る時は有料のものか時間か何か、対価を支払って得られる情報が欲しいと思うようになってきたのだ。
あと、残しておきたい記事のメモ代わりにコメントしていたんだけど、その機能もなくなってしまった。(意外とこれは大きい改変だった)
何より、ヤフーニュースを読むことに費やしている時間を他に使いたくなった。あ、そうそう、you tubeもしかり。こちらのコメントももう止めよう。
ヤフコメ投稿を使い倒した感じとまとめ
ヤフコメに投稿することは私にとって満足のいく3年間だった。
- 発信の練習
- 生活者としての修行
- 世間とのズレの確認
- 会話の練習
- 日本語を忘れないように
ほんとうに役に立った。アウトプットや言語化が人の成長やストレス軽減には必須だと知っていて、目的意識を持って続けてきた。
きっと知らない間に私の力になっていると思う。今でも無自覚なんだけど、やっているのといないのでは、今いる場所とは違う所にいた気がする。
そして、批判コメントに慣れたことによってオンライン起業塾が推していたFacebook発信も難なくできるようになった。
おかげさまで数か月でメルマガ登録者さんを劇的に増やすことができた。
ヤフコメの仕組みと会ったこともない温かくおもしろい人たちに感謝せずにいられない。なんてすばらしい時代に私は生きているんだろう。
ほんとうに感謝しかない。どうもお世話になりました。そしてコメントを返してくださった方々にも感謝と愛をこめて。
番外:印象に残った記事のメモ
- 障害者の弟を生涯独身でずっと見続けた女性の記事では、記事のお姉さまを言葉で労い祝福しているコメントがあり、それを読んで私は泣いた。自分もほめられている気分になったんだ。嬉しかった。
- 成年後見人の実態について書かれた記事では、成年後見人を立てて後悔している方々の苦しい個々の実体験が無数に載っていた。これはググっても見つけられない貴重な情報源だった。もう一度読みたいぐらいだ。
- 私の専門についての記事についたコメントには、いかに世の中に誤解が多いのか知ることができた。このイメージを覆すにはどんな発信をしていけばいいのか?そのヒントを得ることができた。
- ママ友の賛否についての記事で私は「ママ友って素晴らしい!」という旨のコメントをつけたんだけど、「うーん」が8割ぐらいついた。ママ友ってそんなに恐ろしいものなのか?私は人を信用しすぎなのか?それとも単に妬みなのか?のギモンはまだスッキリしていない。
- 災害情報に関することでは、いち早く有益な情報をお伝えすることができて、いいねが4ケタもついた。これには安堵した。これでみんな対策してくれるといいなって嬉しくなった。
先延ばしをやめるには?わかりやすい解説 by精神科医 益田先生
私の心のよりどころ、精神安定剤となっている精神科医 益田先生のyou tubeチャンネル。『精神科医がこころの病気を解説するCh』。チャンネル登録者数59.8万人(2024年6月)。
数えきれないほど益田先生の動画を拝見しているけど今回は初めてブログに書く。感想、見解、引用、省略ごちゃまぜ。
注意!!じっくりメモしながら動画視聴してるわけではないので私のフィルターかかってます。
⇩ぜひともブログに書き残しておきたいと思った画像はこちら。
第二部各論 第2章8節 追い詰められないとやれない人、先延ばしにしてしまう人を解説します - YouTube
しっかり内容を知りたい時は元動画を見るべし。
もうね、私の人生、先延ばししすぎ事件なので。もう止めたいなーと思って。ほら、ブログに書いていたら、「あ。復習したい」って思ったときにパッとみれるじゃん。
動画だと10分とか20分とか聞かないと行けないから躊躇しちゃうけど。文章なら一瞬。そこが文章の強い所、最大のメリットだと思う。
追い込まれるまで先延ばしにする人
益田先生が日頃の臨床の中で思う、追い込まれるまで先延ばしにする人の特徴4つ。
1)疲れてる人 うつ状態の人
2)衝動的な人 誘惑に弱い人 ADHDの人。若い人。
3)受け身の人
4)心理的抵抗がある人 トラウマ 自分の弱さを受け入れられない、完璧主義
「追い込まれるまで先延ばし」っていうのが外せないポイント。私のような人間は追い込まれるとやれるのよ。でも追い込まれないとやれない。
できる人の「できてるからいいじゃん。大丈夫だよ。」という慰めは毒なんだよ。
追い込まれないとやれないっていうのは、ムダに精神的ストレスかかるし、周りの信用を失う。周りの信用を失うということは最後には自信、自尊心も無くなってゆく。
①先延ばしで周りの信頼残高減り続ける…
信頼残高の減り方は具体的にはこんな感じ
- あてにされない
- 大事な仕事は頼まれない
- 「いい人ではあるんだけどね」と陰で言われる
- 最後は誰かの助けが必要
- 次がない(←これは超絶悲しい)
②先延ばしの弊害+アルファはムダ遣いと疲弊
- 仕事進んでなくても「やらなきゃ」は常にあるのでエネルギームダ遣い
- 最後の追い込みで心身が消耗する
- わかっているのにできない自分に自己嫌悪
- 本当にわかっているのか?と自己不信
上記2つ、信頼残高減少とエネルギームダ遣いを減らしたい。
先延ばしをしないためにどうすればいいのか?
益田先生の動画によると、先延ばしを止めるために治療をするとしたら大まかにこんな感じらしい。
まず休め
治療は4段階に分かれる
1)休む→助けを求める→従う
2)マインドフルネス 日々やる。目標が大きすぎるのか?疲れてるのか? いろんなハックやスキルなどの学びが大事。自分の弱点やトラウマなどと向き合って整理する
3)変える準備が整ったら。目標、目的を立てる。計画行動修正のサイクルを回す。
4)変化に応じてくり返す
目的意識をしっかり持ち、この1から4をくり返す。PDCAをガッツリ回していくことなんだろうと解釈。
まあ、この1つ1つをするのに本を何冊も読まないといけない感じ。コーチや師匠をつけた方が早そうな。そばに誰かいて欲しい系の内容。
私は1に関しては恵まれている。定期的に話、「この人の言うことならなんでも従おう」と思える人がいる。
先月もオンラインミーティングしたけど、従ってない(先延ばししてる)事実はあるものの。
→ただ、毎日お母さんのようにそばで育ててくれる人はいない。紙に書き出して貼っておくことにする。
意義を見つけろ
それをやる理由、やらない理由を持つのが大事らしい。
なぜそれをやるのか?
やらないとどうなるのか?
リアルに想像したり意義をちゃんと見出す
ふむふむ。スピリチュアルとアファメーションと瞑想とビジュアライゼーションなどの事だと認識。これまでいろんな本で集めたり実践してきたことを着実に有言実行すればいいだけなんだと納得。
ただ、意義やリアルな想像を毎日思い出す作業が続かないんだよね。
→そうか、これをボードにして寝室に貼ればいいんだわ
→朝の瞑想で1日の流れを予行演習すればいいんだわ
かと言って、今始めないと将来的にお金に困る。子供たちに十分な教育を与えられない。それはわかっても現実味が湧かない。っていうか「どうにかなるさー」と思っている私は間違っているだろうか?
昔、私もかなりの貧困家庭だったから「貧乏」についてのラインが低いというか、許容範囲が広いんだよな。
それを子供にも許容しろと言うのは誤りだろうか?
子供というものは親をどこまで許容できるものなんだろうか?
でもそれって境界線超えてる話だよね。話それてるよね。
自分が影響を及ぼせる範囲のことに集中しなきゃ。
行動できるように環境を変えてあげる。
意志力みたいなものに頼ってはいけない。新しい環境を整えてあげるのが大事。
なるほど。これは「複利で伸びる習慣(うろ覚え)」や「成功マインドセット」とかの本に書いてあった気がするなー。
とにかく、意志は弱いということは忘れてはいけない。環境を整えるのが大事。
→毎週何曜日は必ず○○に行く
→シェアオフィス借りてみる
→みんちゃれ始める
とかやればいいってことなのかな?
ハードルを下げてあげる。そのための具体化とか
これね、これこれ。ハードルを下げるとか分解するとか苦手なんだよ。衝動性とタスクの分解が私の弱点ね。
仰々しい大きな夢を熱く語るのはうまいんだけど、タスクリスト、やりたいことを細かくするのがニガテ。(ああ、もう『ニガテ』とか言うのやめよう)
例えば今の私は「20○○年に家族で○○に行く!」を言っているだけ。逆算して行動に落とし込める言語に変換しなきゃ。
2030年にハワイに行く
⇩
2029年○月には予約入れる
2029年○月にはチケット購入
2028年には200万円を用意する
⇩
2027年には100万円用意する
20〇〇年には家族に英語を教える
という風に全てにおいて考えられるようになりたいよね。
「カルボナーラ食べたい」からってカルボナーラでアファメーションしてるだけじゃダメで、明日の昼食にカルボナーラを食べたいなら、今日のうちにスーパーに買い物に行って必要な物を買い、明日の11:30にはお湯を沸かし始める算段をしなきゃいけないんだ。
→「ニガテ」というのを止めて私は数値化、具体化、細分化が大好き!に書き換える(勝間和代氏より)
→具体と抽象を自由自在に行き来する(細谷さん『具体と抽象』より)似たようなことは岡田斗司夫さんや北原社長も動画でおしゃっていたよね。
そしてマインドフルネスと目的意識、アファメーション。結局ここに戻ってくる。私の中ではもうすでに「古くて新しい」感じ。マインドフルネスと目的意識、アファメーション。
「心は脳」という認識も大事だよ!
益田先生は心は脳だとおっしゃっていた。
きっと心は得体のしれない実態のないものなんかじゃなくて、実態のある臓器なんだよ、だから科学的にアプローチしようね、みたいな意味なんだと思う。
というのを踏まえて、
なんで先延ばしをしてしまうのか?
脳の形の問題なのか?
テクニックがないのか?
認知や状況の問題なのか?
を分解して考えましょうねとのこと。(おおう、具体と抽象だ!)
もうそこには前世とかスピリチュアルとかの入り込む余地はない。同じことなんだけどここでは別に考える事にする。心理学も東洋思想もスピリチュアルも結局同じだ。
まあ、手立てはあるから疲れたら休んで、元気になったらマインドフルネスで冷静になって自分を俯瞰して、できることをスモールステップでやって行きましょうね。そして自分の成長を見逃がさずPDCAを回していきましょうね、と。
そういう風に問題を考える。その中に服薬やカウンセリングも入っているんだろうな。
「成長しなければならない」らしい
先生曰はく、「絶えず変化するし成長しなければいけない」「人間は成長し続けることが求められている」。
「成長しなければならない」なんてプレッシャーに感じる方もいらっしゃると思うけど私は逆。「人間は成長しなければならない」とスパっと言い切ってくれたおかげであきらめもつくよね。
ああ、近道、ワープする方法なんてないんだなとあきらめ。
ああ、はいはい。やればいいんでしょ、というスッキリ感。
私は心のどこかで
「こんな苦しい思いをせずにラクして楽しく生きてるやつがいるんじゃねえか?」
「学びをせずにうまい近道を見つけて楽勝で成功する方法があるんじゃねえか?」
「誰も私に教えてくれないけど、一挙両得、棚から牡丹餅人生を送る方法があるんじゃねえか?」
という他人や世界に対する猜疑心みたいなものをずっと強く持っていた。
今でも少し残ってる。
5年前にブログを書き始めてそんなものはないんだなと実感したのが数年前。
人間は成長しなければならないし痛みを伴う。成長痛みたいなもの?
そういえば昔どなたかが「地球は行動の星」「地球は成長の星」みたいなことを言っていたような…。
成長、しよう。
てか、すごくない?
46歳の主婦が日本の地方に住み、町の片隅で、たった1人の机の上でパソコンパチパチやって、一生懸命孤独に成長と向き合い自分の弱点と向き合い、さらに成長しようともがいている。
あー、お金持ちになりたい・笑
パソコン買い換えたい。
もっと本を買いたい。
夕飯作りたくない。
ぜんぶお金があれば叶うのに・笑
成長するのに最適な場所とは
成長するのに最適な場所ってどこなんでしょうね。
成長のためにできることって何でしょうね。
○○のオンラインサロンとか○○のサークルとか○○のパートとかそういうことじゃないですよ。
成長のための最適な場所は、コンフォートゾーンをちょっと外れたとこらしいですよ。
コンフォートゾーン。この言い方、にくいよね~。大好きですよ、この言い方。最近はスピ系の方も使い始めた「コンフォートゾーン」。スピ系の方が言うとほんとにコンフォートゾーンの意味わかって使ってるか?って言いたくなるよ。
それはさておき、成長するためのコンフォートゾーンをちょっと外れたとことは。
- ちょっとがんばればできそうなことがあるところ
- ちょっと挑戦すればできそうなこと
コンフォートゾーンを出過ぎてツラくなったら戻り、「飽きたな」「退屈だな」と思ったらコンフォートゾーンを少しだけ出てみる。これはマインドフルネスで定点観測する。
- 目標が大きすぎないかな?
- 体は緊張してないかな?
- 何か見落としてないかな?
- もっと細分化してできそうなことあるかな?
- やらなくても良さそうなことあるよね?
というようなことを。そしてくり返す。そしてコンフォートゾーンが少しずつ広くなって成長していくんだそうだ。
慣れてきたなと思ったら出て、きついなと思ったら戻る。自分にとって一番いいラインを探す。自分にとってちょっとストレスがかかる。そこがちょっと自分が一番成長できるのでそこにとどまるのが大事。ちょっとした刺激の所に居続けることが大事。じゃないと後々困る。(かなり端折って書いてますよ)
ふむふむ。
2024年6月の私ができそうなコンフォートゾーンからちょっと出たところ。
→パワフルMちゃんに会ってみる
→Eさんに「ラジオをやれ」と言われたことに従う
→「能力の成長」をもう一回読む(ちょっとがんばれば読めそう)
→夫に感謝を伝え、謝ることは謝る
これをやってみよう。この4つを淡々と継続すれば1カ月後は違う世界が見えているはずだ。
自己陶酔して夢と心中するのだけは絶対に嫌だ。
お金持ちになりたい。
「守られている」という実感が欲しい。
今日は以上。
元の動画はこちらです。正確に深く学びたい方はこちらをご覧ください。
1つ目のブログのPV。確実に減っていて急に焦る。
私の1つ目のブログ。怖くて見てないんだけど半年以上更新していない。
今日かなり久しぶりにアナリティクスを見たら、1日20~30PVぐらいだった。圏外に飛ばされていないだけでまだマシか。というかありがたや~だ。
去年も1年で数記事しか書いてないんだけどとりあえず1日70~100PVはあったはず。確実に落ちてきている。
しかも仕様が変わってすぐに切り替えなかったから過去のは見れない。
そろそろリライトと新しい記事を書かないと、本当に消えてしまう。それだけは避けたい。ちゃんと勉強しなおそう。
物事が動き出すタイミング。急に3つの再会。
おもしろいことが続々と起きてる。とても興味深い再会が1週間で3つも起きた。過去数か月(もしかすると半年)、引きこもっている私の所に誰かからのお誘いは特になかった。
定期的な飲み会とかはあったけど、それは習慣や惰性の延長だった。
それがこの1週間で3つの再会。よい感じの何かが近づいてきている感覚がある。
まず1つ目は5年ぶりぐらいに合うママ友
子どもが年中さんまでいた幼稚園のママ友と集まる機会があって、それに誘って頂いた。その中には会いたい人と会いたくない方と初めましての方。
会いたかったのは2人。1人は仲のいい唯一のママ友Aさんと、Aさんが会いたがっていたママMさん。
会いたくなかった1人は人のうわさ話と陰口が大好きなKさん。
そして最後にお互い記憶になかったSさん。
その集まりではいろんな気づきがあった。とてもささいなことではある。
- 外食時の子どものしつけって大事だな
- 日頃の親子のルールって大事だな
- ママ自身の外見や服装ってすごく大事なんだな
当たり前なんだけど引きこもり主婦の私にはすごく新鮮な気づきで。いろんな人がいるんだなーってしみじみ。
近所のカフェに行く時の格好とはいえ、部屋着みたいな恰好ではやはりよろしくないし、ブランド品で着飾っても本人の立ち居振る舞いや言動が伴ってないとよろしくない。化けの皮は一瞬ではがれる。まさに人のふり見て我がふり直そうって思った。
このランチ会の自身の振り返りとしては90点!「発達障害サバイバルガイド」が役に立った。茶番センサーと、飲み会では黙っておけ作戦が功を奏した。
自分の力量を超えて場を盛り上げようとか不要なサービス精神をひけらかさずに、おとなしく3時間過ごす事ができた。これは交流分析の成果でもある。
100点かも知れない。
2つ目は20年ぶりに偶然会った職場の先輩
子どもつながりで偶然会ったのが新卒入社した会社の先輩。20年以上ぶり。これには驚いた。先輩が変わってないことにも驚いたし、ド天然だった先輩に敬意を持って接することができた大人の私にもビックリ。
「相変わらずおキレイで」と嫌味なく心から言えた自分にビックリ。さらに、私は隠れたりせず自分から話しかけることができた。私はちゃんと成長していたのだ。
でもそれはその先輩が魅力的で明るく素直で邪心がない人、というのを覚えていたし、今もそれは変わらないだろうと信じることができたから。それは本当にその通りで、とっても嬉しい再会だった。
先輩は相変わらず本当にキレイで明るかった。これまでがんばってきたんだろうなって言う尊敬の念ももてた。
先輩は超高級車に乗っていて、全身ブランド品で誰がどう見てもセレブ中のセレブだったんだけど、とても似合っていた。
「ああ、こんな風になりたいな」って素直に感じたの。彼女のように素直に与えられた役割を果たして全力を尽くせば私もなれる。ならなければ!って思った。
3つ目は3年ぶりぐらいに声を聞いた親友
送ったラインをスルーされて私がいじけちゃってずっと連絡を取っていなかった親友。
ちょっと前に「久しぶりに飲みに行こう」と連絡をもらっていたんだけど、元気過ぎる彼女と会うのは今はしんどいと判断してやんわりスルーしてた。
もうしばらく連絡ないだろうなとほっとしていたところにとりとめのない内容のライン。
「急にどうしたの?なんかあった?」と返したら「いっぱいあった」とお返事が来た。そりゃアラフィフが3年も連絡とらずにいたらいっぱいあるよね。再婚でもするのかなと軽くライン。
電話で「概要だけ聞いて」と言われウンウン聞いてたらあっという間に37分。実際には過去5ヶ月分だけ聞き、お腹いっぱい。情報量多すぎ。
とにかく思ったのは、彼女は本当にパワフルで1人で4人分ぐらい動いてて、良く生きてるなーって言うのが正直な感想。
さらに驚いたのは「自社ビルを建てる」と昔2人で語った夢を現実化しようと孤軍奮闘していた。感動して泣きそうだった。
そして私の消えた心のろうそくに火がともされた感じ。心がぽっと暖かくなって灯が着いた感覚。ああ、そろそろわたしも動き出さなきゃ。
私は何をしてたんだ?私はこの世界の何を見ていたんだろう?私は、私は。
彼女に会うのが楽しみになってきた。何事にもタイミングってあるよね。
ここ数年、私はずっとしゃがんで畑を耕していた。助走していたのかも知れない。高く高くジャンプするためにしゃがんでいた数年だったんだな。
今年は、今年こそは飛躍の年にしよう。
